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トロシンゲンへの旅ワールド・ハーモニカ・フェスティバル2001レポート南ドイツの小さな町ホーナー ハーモニカの故郷、M.ホーナー社の本拠地ドイツ トロシンゲンの町への旅は地図を広げる事からはじまるのかもしれない。トロシンゲンの町はとても小さくて一寸した地図では見つからないだろう。ドイツの詳細な地図を取り出しても、探し方を心得ていないと苦労する。こんな小さな町で昨年10月に5日間、トロシンゲンでは4回目の「ワールドハーモニカ フェスティバル2001」が開催された。ワールドハーモニカ フェスティバル自体は1987年以来2年に1回各国で開催されているが、内容、規模共最も充実したここトロシンゲン大会は89年、93年、97年以来の4度目となった。 ワールドハーモニカ フェスティバルへの参加はそんなに難しい事ではない。勿論、コンテスト出場やまして入賞となれば、到底そんなに簡単なものではないけれど、1ハーモニカ ファンとして世界のハーモニカ界を体験するのは、5日間を好きな世界に浸れる分だけ他の海外旅行とは一味違った旅になるのは言うまでもない。ここでは旅の楽しみを紹介しつつ、大会のコンテストやコンサートについて、ブルースハープを中心にレポートしてみよう。 さて、地図に戻ってトロシンゲンはドイツ南西部の都市シュツットガルトから南に約100キロの位置にある。日本からはドイツのフランクフルト空港に到着し鉄道を使う方法もあるが、もっとアクセスが良いのはスイスのチューリッヒ空港に着いて鉄道を使う方法だ。チューリッヒの空港駅から中央駅へ、ここからドイツのシュツットガルト行きの急行で1時間半あまりのロットバイルという駅で下車する。トロシンゲンへはロットバイル駅からタクシーでも行かれるが、ホームを換えて2両編成のローカル列車に乗り換え1駅目がトロシンゲンだ。でもこの駅は無人で周りには何も無い、おもちゃの様な小さな電車が1台待っているだけ、この電車でガタゴト20分程揺られるとやっと小さな町の真ん中に到着する、ここが目的地トロシンゲン中央駅と言う訳だ。電車が町に入って駅に着く手前、右手に目立つ黄色の低層の建物が見える、ハーモニカケースでお馴染みのホーナーマークが描かれている。M.ホーナー社の工場だ。
長旅と時差ボケでやっと辿り着いたトロシンゲン、重い荷物や今夜の宿の事はちょっと忘れて、ハーモニカフェスティバルの会場を案内しよう。大会のメイン会場はDr.エルネスト・ホーナー コンサートハウスというホールだ。駅から左手に小奇麗に手入れされた家々の並ぶ通りをぶらぶら歩くと、コンサートホールに突き当たる。おしゃべりしながら歩いても10分といったところか。このホールでは、大会の開会式、毎晩のガラコンサート、最終日の表彰式が行われ、大会受付、ハーモニカ関連の展示、売店、メンテナンス・センター、軽食コーナー等が置かれている。また隣接するギムナジウムの教室は各種セミナーの会場となった。今度は駅から右手に向かってみよう、すぐに教会がありここでもコンサートが開かれた、そこから大通りを上がり左折して道を下って行くとコンテストの会場がある。ディアトニック・ソロ(ブルースハープ)の会場のリンデン、複音やトリオ、グループスの会場のホーナー音楽学校、クロマティックの会場の3軒が同じ通りにあって、これも駅から歩いて数分の所だ。ハーモニカの貴重なコレクションを集めたホーナー ハーモニカ博物館は、駅から正面の商店街の通りをまっすぐこれも数分歩いたところ。こじんまりしたトロシンゲンの町は、歩いて用が足せるのでビジターにとっては誠に便利が良いのがありがたい。会場の端と端のコンサートホールとホーナー音楽学校間を歩いても、早足で15分といった具合で、ほとんど信号が無く道を渡る際は車が止まってくれるのだ。のどかで安全なこの町にいると、海外にいるという緊張感が解けて安心してハーモニカに浸っていられるのも、トロシンゲン大会の魅力のひとつといえるだろう。しかし宿泊と言う点では、小さなトロシンゲン町では国内外からの大会参加者やゲストプレーヤー全員の宿を賄うことは無理で、周りの町を含めての分宿となる。足場の良いトロシンゲン市内は勢いゲストプレーヤーや比較的早い時機に参加申し込みをした人が優先となるが、その不便は大会のシャトルバスが解決してくれる。2統のシャトルバスが宿泊施設のある近隣の町と大会会場を結んで、連日朝夕夜と運行している。ブルースファンのお楽しみ、ナイトセッションの終了後の深夜便もあって、30DMの料金で乗り放題、最終日にはもよりの鉄道駅までの便も出ているのでとても便利で安心だ。
日本人2人目のチャンピオン10月24日水曜日 19時より、ワールド ハーモニカ フェスティバル2001の開会式がコンサートホールにて行われ5日間に渡る祭りが始まった。前回97年大会と比べると今回は少し参加者が減った感じがするが、開会式の後はワインが振る舞われると、久しぶりに会う海外の旧友と再会を喜び合ったり、初参加者は緊張気味だったり、皆祭りの興奮に上気していやがうえにも盛り上がる。このフェスティバルの華は何と言っても各カテゴリー別のコンテストと毎晩のガラコンサートだろう。ホールのロビーに張り出された(ここには連日インフォメーションが張り出される)コンテストの日時や場所、競技者の演奏順といった情報をしっかりチェックする。 翌25日、10時からディアトニック・ソロ、ジャズ/ストレートメロディック部門のコンテストが始まった。会場はリンデンというレストランの宴会場で客席とステージがあり、ステージにはPAシステム、エレピ、ギターアンプがセットされていた。規定は自選曲、6分まで、伴奏はギター又はピアノ可、伴奏者は各自用意、カラオケはCDまたはテープとなっていた。審査員はマーク・ブレイトフェルダー(独)ブレダン・パワー(ニュージーランド)ギャリー・プリミチ(米)の3名。審査の基準と配点は1)テクニック、演奏者の技術1〜15点、2)フィーリング、解釈1〜10点、3)サウンド1〜10点、4)テンポ/タイミング/ダイナミック1〜10点、5)芸術性、演奏1〜5点の合計50点満点。エントリーは14名、実際に演奏したのは13名。(注:ジャズ/ストレートメロディックとはジャズまたはブルースやロック、フォーク以外の曲、例えばポピュラーやクラシックなどを指す。このカテゴリーでブルースはだめ、カテゴリー違いとされる) 会場では最前列に審査員が座り、司会者は演奏者をドイツ語と英語で名前と国名を呼び出す。コンテスト初日の午前中ということもあり、会場には緊張した雰囲気が漂っていた。また、客席からの写真撮影や演奏中の出入りはNG、録音はOKで大会専属のカメラマンが各演奏者の写真を撮り、後で売り出していた。各演奏者の曲はサマータイム、ワークソング、イン ナ センチメンタルムードなどのジャズのスタンダードナンバーが多かった。その中で、ドイツのティノ・ミヒャエルさんはバロックの室内楽をヴァイオリンのパートで見事に演奏し3位に入賞した。この部門の優勝者はフランスのアレキサンダー・トロンさんで、曲はミスティーを演奏した。2位は日本の大竹英二さんで曲は枯葉、手元のランキングリストによると、1位と2位の点数差は0.4点という僅差であり3位以下を3点以上引き離した。タイプの違う2人はまるで武蔵と小次郎の巌流島の決戦を思わす堂々の接戦であった。これには聴いていた私もゾクゾクときた。この2人の演奏には客席からも大きな拍手が送られた。 さて25日の午後は同じ会場で、ディアトニック・ソロ、ブルース/ロック/フォーク/カントリーの部門のコンテストが行われた。演奏者は28名、規定及び審査の配点はジャズ/ストレートメロディックと同じ。審査員はミシェール・アルト(独)ギャリー・プリミチ(米)グレッグ・スラプジンスキー(仏)の3名。出場者は地元ドイツ、スイス、フランス、イタリア、ロシア、クロアチアといったユーロッパ勢、アジアからはマレーシア、台湾、日本。また毎回レベルの高い演奏をするアメリカからの参加者がは、テロ事件の影響からか今回は見当たらなかった。各演奏者の曲はブルースではジュークやビック ウォルター・ホートンのトラブル イン マインド、トレイン&ブルースタイム、カントリーではオレンジブロッサム スペシャル、中国民謡、ジャンジャック・ミルトーの曲、シュガー・ブルーのジャズブルース曲、各自のオリジナル曲 と結構何でも有りで、午前中のコンテストよりは出場者が多い事もあり、多少とも和やかな雰囲気になった。この部門の3位はマレーシアのケン・シン・タイさんで曲は中国民謡、彼はクロマティックや複音ハーモニカも演奏し他の部門でも良い仕事をしていた。2位はドイツのホルガー・シャーベリーさん、曲はフォークソングとアイルランド民謡、彼はギターを弾きながらハーモニカホルダーを使うスタイルながら、演奏はメロディアスでベンドは滑らか、その高い技術が評価された。日本ではギターを弾いてとハーモニカホルダーを使うと”ゆず”のような演奏になりがちだが、同じスタイルでもホルガー・シャーベリーさんはハンドを使う演奏にも遜色ないレベルの高い演奏だった。そして優勝は、オリジナル曲「飛行船」で挑戦した日本の大竹英二さんが勝ち取った。彼は99年のFIHジャパンコンテストのブルース部門で優勝し、2000年ソウルでのアジア・パシフィック ハーモニカフェスのコンテストでも1位になり、国内、アジア、ワールドと着実に挑戦の場を広げ、その成果を見事にこのトロシンゲン大会で実らせた。これで私が93年のトロシンゲン大会で優勝して以来、2人目のブルースハープにおけるワールドチャンピオンの誕生となった。勿論、審査結果は最終日の表彰式で発表されたのだが、コンテストでの大竹さんの演奏には、ひときわ大きな拍手が寄せられた事も報告しておこう。
贅沢なガラコンサートともうひとつのお楽しみ大会のもうひとつの華は毎晩開かれるガラコンサートであろう。26日金曜日の夜はブルースのガラコンサートが行われた。出演者はドイツのミシェール・アルト、2番目はフランスのグレッグ・スラプジンスキー、彼はパリのユートピアというジャンジャック・ミルトーがよく演奏するクラブでパフォーマンスをしていて、私も97年のトロシンゲン大会の帰りにパリに行きユートピアで彼と彼のバンドでセッションをした思い出がある。彼はテクニシャンであるだけでなく、オーソドックスなブルースとワールド・ミュージック的なアドリブを融合させたりと非常に今日的なアプローチとセンスをもったミュージシャンである。3番目はブルースハープのカスタムメイダーとして著名でマスター オブ ハープと呼ばれるカリスマ、ジョー・フィリスコ、シカゴから。彼は今回ガラの演奏とセミナーの講師を務めた。ジョーは1930年代の様々なブルースマンのプレイをアカペラで再現した。さすがハーモニカフェスのガラコンだけあって、耳の肥えたハーモニカ ファンをうならせる演奏に会場の拍手は鳴り止まなかった。ジョーは超テクニシャンで、130年代のブルースを長らく彼自身の興味と探求のテーマにしている。彼はまた91年のデトロイト大会以来私の親しい友人でもあり、本人から聞いたところ、最近はカスタムワークだけでなくプレーヤーとしても、ステージワークを楽しんでいるとの事。 次はホーナーのエンジュニアにしてプレーヤー、プロハープの開発や14穴のモデルでお馴染みの、スティーブ・ベーカーがヴォーカルのアンジェラ・アルティエリ(米)とギターとのユニットで登場した。アンジェラの良く通るヴォーカルとスティーブのハープは大人の小粋なブルースをたっぷり楽しませてくれた。このコンサートのトリはギャリー・プリミチ、テキサスから。いかにもフランクなヤンキーといった風貌の彼は、パワフルでキレの良いテキサス・ブルースを多彩な音色で聴かせてくれた。やはり本場アメリカのブルースは深いと感じるパフォーマンスであった。一晩のステージで色々なスタイルのブルースハープを楽しめるガラコンサートは、ハーモニカ フェスならではの贅沢だと改めて思うともに、心からご馳走様といいたくなる夜だった。 毎晩8時からのガラコンサートは終演が11時にもなる。長かった1日が終わり、シャトルバスで宿に向かう人々をしりめにブルースファンはまだまだ眠らない。夜のお楽しみはこれからだとばかり、レイトナイト・セッションが開かれるリンデンに向かう。昼間コンテストの会場となったレストラン リンデンの宴会場はテーブルに蝋燭が灯され、ご機嫌なクラブに様変わりしている。トロシンゲン大会ではスティーブ・ベーカーがナイトセッションのサポート役を毎回務めている。演奏したい者は彼にやらせてと申し出るシステムだ。バッキングング・バンドはギター、ベース、ドラムスのBシャープ・リズムセクションに今回はピアノプレーヤーが加わった4人編成だった。セッションは木金土の3晩行われ、金曜土曜はスタートが深夜12時頃となるのにもかかわらず、ブルースハープのファン以外の大会参加者や週末を楽しむ地元のお客さんも入って満席となった。
大きなジョッキで地元のビールをぐいっといきながら、コンテストやコンサートとは違ってワイワイ言いながら楽しめるナイトセッションは、演奏しなくても楽しい。演奏すればもっと楽しい。私は初日と最終日のセッションで演奏した。初日のセッションはスティーブ・ベーカーのオープニングアクトの後、彼のチョイスでどちらかと言えばベテラン勢でファーストステージを固める構成になっていた。ファーストステージで雰囲気を作ってスタートするといった、計画なのだろう。私はオープニングの後2番目に演奏した、遠い日本からようこそといった感じか。2晩目は初めての参加者中心にセッションが組まれ、私はもっぱらビールを飲んでおしゃべりをしていたら、りっぱな紳士が話し掛けてきて私のカスタムハーモニカを見せてくれと言う。カスタムの説明をしたりして名刺を貰ったのだが、後で良く見るとなんとホーナー社の社長さんだった!。セッションの最終日の土曜日は、大会最後の夜と言う事も有って席を確保するのが大変な程の満席だった。セッションのメンバーは前日26日のブルースのガラコンサート出演者を中心にファーストステージが組まれており、私もファーストステージで演奏した。その際1987年から全ての大会に参加しているプレーヤーとしてスティーブから紹介され、それって俺もオヤジになってしまったという事かと正直一寸ガックリした。この晩は最終のシャトル・バスが出てもまだセッションは続いていた。名残惜しいファイナルナイトなので私も3時ごろまで、旧友達と楽しい時を過ごした。 時代と共に歩むコンテスト5日間にわたるワールド ハーモニカ フェスティバルは最終日の表彰式で幕を閉じた。ここでは、各部門の競技者が部門ごとに全員ステージに呼ばれ成績の書かれた賞状をもらった。そして3位、2位、優勝者の発表があり、幾つかの部門の優勝者が記念の演奏をした。ディアトニック・ソロ ジャズ/ストレートメロディックの優勝者のアレキザンダー・トロン(仏)さんは、クロマティック・ソロ 課題曲の部門でもキャスリン・ガス(独)さんと1位を分け合い、それぞれ課題曲、自選曲にわかれて演奏した。ディアトニック・ソロ ブルース/ロック/フォーク/カントリー部門の発表では優勝者の大竹英二さんが演奏を求められた。大竹さんは急な演奏の要請に答えて、今回の優勝のトロフィーでもあるエコーホーンで演奏し喝采を送られた。また、この部門が最も競技者が多かった事でもあり彼の成績は価値のあるものであったと思う。 今回のトロシンゲンへの旅で、私はかつて自分が優勝した同じ場所、同じブルースハープ部門で日本人2人目の優勝者の誕生に立ち会う事が出来た。トロシンゲンの大会には私自身沢山の思い出があり、旧友との再会に胸を熱くしたが、懐かしさばかりではなく音楽に対する新しい感性を持った世代が登場し、その活躍の場を広げている事をひしひしと感じた。これはコンテストだけではなく、ガラコンサート、セッションなどいろいろな場面で、何かが変わってきた事、それも面白く変わってきた事が非常に感じられ、改めてこの大会に参加して良かったと思った。それはこの大会が過去のものとなる事なく時代と共に歩んでいる証拠なのだろう。 また私はこれからも日本のハーモニカファンが、こういった大会に是非参加して音楽に対する視野を広げ、友人を作ってほしいと思っている。若い世代にはコンテストへの挑戦も考えて欲しい。勿論なまなかな準備ではこういったハーモニカの技術は基より、表現や音楽性の完成度を競うレベルの大会に挑戦するのは難しい。日本のコンテスト、アジアのコンテストと挑戦の場を広げていくといった努力も必要だろう。だが、けして不可能な事ではないと私は思う。さらなるチャンピオンの誕生を夢見て頑張ってほしいと思う。そして、いつの日にか、その誕生にまた立ち会う事ができたら私もきっと幸せを感じるのだろう。 吉田ユーシン ※「トロシンゲンへの旅」はハーモニカ・レヴュー 40号(2002年春)に寄稿した原稿をもとに構成したものです。 |